環境エッセイ

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炭素中立世界にむけた道筋:ブータンと日本【その3】

                                                                 西岡秀三

 

先回は、「炭素中立社会」への転換がなぜ必要なのか、それが各国の発展基盤に及ぼすであろう影響を見てきた。それでは日本はどうなのだろうか?

 

日本は大丈夫か

翻って、日本は何を自分たちの発展基盤としてきたであろうか。一世代後の炭素中立時代にも、その発展基盤は役に立つだろうか。

誰でもが挙げる日本の基盤は「技術力」である。これは石油危機を乗り切った日本の優秀な経営者と技術者そして産業設備とで形成されてきた。石油危機以来どの分野でも先端をゆく技術と製品で国内市場を潤し海外への輸出や海外生産で経済発展を支えてきた。こうした技術が、今後の炭素中立世界でも優位に立てるだろうか。これに関してはややや暗雲が漂ってきている。

炭素中立社会を形成するのは、省エネ・再生可能 (自然) エネルギー・吸収源確保が軸である。再生可能エネルギーの使い方として、電力システム強化と合理化、自立分散ネットワーク化、移動のEV化である。個別省エネ技術はまだ優位かもしれないが、消費をあおる短期景気喚起型経済優先政策運営が続き、大量のインフラ投資にも長期の低炭素化を意識した設計が十分でない。先を見通して炭素排出を今抑えるための経済的手段であるカーボンプライシングが広まらず、省エネ技術普及とそのシステム化が遅れている。再生可能エネルギーでは中国・欧州勢に大きく後れを取ってしまったことは明白である。EVに至っては、カリフォルニア州や中国が製造販売の一定割合いをEVにするとか、独仏でガソリン・ディーゼル車製造を2020年で打ち止めの政府方針が出されているのに、日本では方向が決まっていない。もう世界はハイブリッドを飛び越してEV時代に入ってきた。電気自動車の部品数はエンジン付き自動車の2/3で済むといわれているが、この技術を支えてきた中小企業への影響も甚大である。このような状況が報道されると、日本が発展の基盤とする「技術力」は言われているほど大丈夫なのかと案ずるばかりである。

 

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図9 今の日本の技術が、炭素中立時代に使えるのか?

 

国際協力はできるだろうか

今日本の政策は、もう国内ではGHG は減らせないとひらきなおって、海外協力でのクレジットを買ってきてしのごうとしている。しかし世界では技術移転を追いに歓迎しているが、減らした分を日本に売ってくれる保証はない。50年後に排出ゼロにむけて、2050年には世界で半分にするという道筋がIPCCで示されているが、そうなると世界一人平均2トンの世界となる。今のアジアの途上国は今でも2トン以上である(タイは4トン、中国7トン、日本は10トン)、後発国でも2トンは目の前であり、NDCを強化するなら、日本に安くできる削減分(low hanging fruits)をそう簡単には売ってはくれまい。そうなると日本は自国でしっかり減らしたり吸収したりするしかない。

せめて得意の技術を移転できればと考えるがどうであろうか。世界では地域の環境にあわせた「適正技術」が見直されている。一昔前には太陽パネルは「適正技術」の代表であった。電気が引けないところで止むを得ず使うのであって、モノ好きな人が趣味でやっている、隙間狙いの技術といったニュアンスで語られていたから、化石燃料発電の巨大技術に押されて企業も力を入れてこなかった。それが今、太陽エネルギー、風力発電、中小水力は主流に躍り出て、大規模電源になりつつある。「適正技術」を主流に押し上げたのは、明らかに脱炭素の必要性のためである。炭素中立世界のエネルギー技術はどちらかというと地域的にまた管理面から分散型であるとされる(図11)。日本の中央集中型技術体系のもとで培われた技術への感性がこの適正技術の時代の流れを読み切れず、炭素中立時代に取り残されてしまい、携帯電話の普及・生産、太陽光・風力発電技術と普及、などで既に中国に後れを取っている。これからの自然依拠の分散型適正技術開発に追従できるかの疑問も残る。

日本の座礁資産としては、国際的にコスト高が明らかになって誰も投資をやりたがらなくなった原子力発電と使用済み核燃料処理処分施設、石炭火力である。さらには、半世紀前につくられた自動車前提都市がさびれ、歩いて楽しめる高齢化都市が選ばれるとか、いずれは転換しなければならない鉄鋼や化学などエネルギー多消費産業の設備などがある。老朽化した都市インフラの再生を、この際炭素中立化政策をてこにして一気に直すのが良い。炭素中立社会に向けての都市と産業の構造的変革が不可避である。

 

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図10  使えば使うほどコストが高くなる原子力、急速に下がる自然エネルギー(IIASA)

 

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図11  炭素中立社会に必要な技術はモノが違う

 

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図12 省エネ・自然エネ・吸収のための国土計画

 

幸い、日本の森林資源は持ち直してきているようである。ひところ外国産材に押されて衰退してきた林業は、このところ国内材の販売も増え、吸収源としての維持できる森林作業員ももどりつつある。しかし過疎化してゆく地域で土壌・森林を守る定住人口を確保する事にもっと力を入れるべきである。自然の価値を正当に評価し、自然を守る人の所得を確保する仕掛けがいる。(REDD+in Japan) 

 

このように考えてゆくと、自然資源をベースに炭素中立に向かうブータンから、日本が学ぶことが多く出てくるのではないだろうか。 

 

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炭素中立世界にむけた道筋:ブータンと日本【その2】

                                                                 西岡秀三

先回は、「炭素中立社会」であるブータンがどうこれを維持してゆけるだろうかを見てきた。

今回はそもそも炭素中立世界とは何か、そこへの転換がどのような意味を持つのか見てゆきたい。

 

なぜ炭素中立世界にならざるを得ないのか?

話は飛ぶが、今、世界の歴史的転換の時にある。産業革命からはじまった近代工業化世界のエネルギー事情がすっかり変わろうとしている。パリ協定が決めた「炭素中立社会」への転換のため、ほぼ50年後には石炭・石油も天然ガスも使えなくなる。その代わりのエネルギーとしては、サンサンと輝く太陽の恵みと木しかない。太陽エネルギーは、形を雨に変え、風となり、波を起こし森林をはぐくみ、水力・風力・バイオマスといった炭素を出さないエネルギーとなる。木は切って燃やせば熱エネルギーになるし、切ったあとにちゃんと植林すれば、燃やしたとき出した二酸化炭素を30年ほどかけて吸収してくれるから、炭素収支は差し引きゼロである。植林をもっと増やせば、化石燃料からの二酸化炭素をちょっとぐらいは吸収してくれる。

石炭石油ガスをやめて、太陽と森林で生きる「炭素排出実質ゼロ=炭素中立」の世界に50年ぐらいの間に変えなければならないのはなぜか?この理由はいろいろ説明されるが実は簡単なことなのである。産業革命以前は、薪がエネルギー源であって、植林してれば差し引きゼロの社会だった。産業革命がはじまり地中に眠っている石油石炭天然を燃やしはじめ地球の吸収能力以上に出し始めたから、その半分が大気の残り温度を上げているのである。

30年間の科学で分かったのは、石油を燃やして煙突から出てくる二酸化炭素の半分近くは森林や海に吸収されるが、半分以上は吸収しきれずに空気中にたまり、そのまま100年たっても消えない。出している限り半分がたまり続け、それに応じて温度があがりはじめ、変な天気が増えてきて被害が広がたのである。

 

炭素中立世界まであと30年?

それを止めるには何をすればよいのだろうか。上の科学的事実をよくよく考えると、答えは、いつの日か「化石燃料の使用をやめて二酸化炭素の排出を一切止める」しかないのである。止めた翌日、間違ってまた出し続けるとその半分が大気中に増えその分また温度が上がってしまうから、もうとめるときめたらその日から一切出せないのである。そうはいっても、さっそく今晩のガスでの煮炊きをやめるというわけにはゆかない。当面は凶暴になってきたお天気にびくびくしながら、何年かかけて我が家のガス会社がバイオガスに切り替えてくるのを待つか、昔懐かしいかまどで薪を燃やして釜飯を食うしかない。迫りくる危険に追っかけられながら、急ぎゼロ排出のエネルギーに切り替えて逃げ切りを図るしかない。

それでは一体いつまでにゼロ排出にするべきなのか?2015年パリに世界各国が集まって、地球平均温度が産業革命以前から2℃以上上がる前に排出ゼロにしようと決めた。2℃の日になったとたんに地球の最後というわけではないが、いつまでもだらだらしていたのでは天変地異がひどくなることは間違いないことだから、一応2℃あたりを目標に今から手を打っていこうというのである。と言ってももう既に1度ほど地球温度は上がっており、増加し続ける排出ではあと20年ほどで2℃になる。20年というのは目の前である。

 

財布の中身

出せば出すほど温度が上がる。2℃あたり上がってもしょうがないがそのあたりで打ち止めにしようとパリで決めた。それではそれまでに一体どれだけの量の二酸化炭素が出せるのだろうか? これは2℃到達までに人類がこれから使える(出せる)二酸化炭素「予算総額(バジェット)」「財布の中身」である。何とこの量がきわめてわずかしかないことが科学的に示されたのが5年ほど前である。一兆トンというと大量であるが、今世界が出す量は約400億トンであるから、たとえ現在の排出にとどめたとしても25 年分しかない。これからは、財布からの年間支出をケチってゆき(排出量を減らしてゆき)、その間に使える範囲の化石燃料をうまく使って、セロ排出の社会に変えてゆくしかない。今からケチってゆけば、財布の中身は25年以上長持ちする。その間に脱炭素・ゼロエミッション・炭素中立に転換するのだ。パリでは、この手で今世紀後半の早い時期に「ゼロ排出・炭素中立」世界にしようときめた。もう世界はゼロ排出に向かうしかない。一世代のうちに、エネルギーシステムをすっかり変えねばならないのである。

 

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図5 ゼロ排出に向かうしかない

 

発展のよりどころが変わる。

炭素中立転換は科学的必然であるが、これはこれまで各国が発展の支えとしてきた基盤を大きく揺るがせるものである。わかりやすい例は、産油国である。上記の炭素財布から出せる炭素量は石炭・石油・天然ガス(シェールオイルを含む)やメタンハイドレードなど総化石燃料推定埋蔵量のもつ炭素量の百分の一もない(図6の300PgCと書かれた分が二酸化炭素換算で約1兆トンという残り予算量に相当)。産油国がこれまで世界経済運営で背景にしてきた化石燃料資産は膨大(図右上部分の化石燃料の埋蔵量)であるが、数十年後の炭素中立世界では全く使えないから価値ゼロになる。これがゆうところの、「座礁資産化」である。炭素中立世界になったら産油国は何で食ってゆくのか。オイルマネーはバブルとなって金融市場から消え去る。いま産油国は、減りつつある石油需要下で生産制限をすることで石油を高値で売り、今のうちにその資金を炭素中立時代の新産業(再生可能エネルギーやファイナンス業)に振り向けるのに大わらわである。

 

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図6 使える(排出できる)炭素量(300PGC)は、推定埋蔵化石燃料の100分の1弱。

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図7産油国の資産は無価値に

 

一方で、ブラジル、アメリカ、ロシア、インドネシア、中国など、土地が広く太陽エネルギー(とその変形エネルギー)や水力が豊富に得られる国や自然資源なかんずく吸収源が大きい国、がぜん優位に立つ。ブータンは国土面積は広くはないが(九州程度)、人口割りでは十分な水力と森林を有する今後きわめて優位に立てる国である。

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図8これからは自然資源の時代

 

 

 西岡秀三(にしおか・しゅうぞう)

(公財)地球環境戦略研究機関参与、(一社)環境政策対話研究所名誉会員。

東京大学機械工学科卒、同博士課程修了、工学博士。国立環境研究所理事、東京工業大学・慶應義塾大学教授、地球環境戦略研究機関気候政策プロジェクトリーダー等を経て現職。専門は環境システム学、環境政策学。1985 年より気候変化影響や対策シナリオ研究に従事。2004年―2008年環境省地球環境研究計画「2050年温室効果ガス削減シナリオ研究」リーダー。著書に『地球環境がわかる』(kindle版)、『気候変動リスクとどう向き合うか』(損害保険ジャパン、損保ジャパン環境財団)、『低炭素社会のデザイン-ゼロ排出は可能か』(岩波新書)、日本低炭素社会のシナリオー二酸化炭素70%削減の道筋』(日刊工業新聞社)、『地球温暖化と日本―自然・人への影響予測』(古今書院)、『新しい地球環境学』(古今書院)ほか多数

 

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炭素中立世界にむけた道筋:ブータンと日本【その1】

                                                                  西岡秀三

 

炭素吸収国の先頭をゆくブータン

目下ブータンに入れ込んでいる。険しい山岳の合間に人口80万人が住む日本で言うと島根県を彷彿させる森林の国である。ブータンが国民総生産(GNP)でなく国民総幸福(GNH)を国是としている事を知る人は、いったいそれで国民は「幸せなのかい」と皮肉っぽく聞く。そしてブータンは、われわれが出す二酸化炭素をむしろ吸収してくれている稀有な国であり、今後もそれを維持する事をパリで約束している国であり、世界の最先端をゆく「炭素中立国」なのである。

脚注:「炭素中立(Carbon Neutral)」とは「(温室効果ガス」ゼロエミッション」「脱炭素」などとほぼおなじ意味で使われているが、科学的に厳密さで言うというと、温暖化を止めるためには「地球上での炭素排出量と森林土壌・海洋などの吸収を等量にして大気中の二酸化炭素を増やさない」ことからの言い方である。今の地球の吸収能力は人為的排出量を吸収するには少なく、まずは排出量ゼロエミッションに向かわねばならない。

 

2015年パリ協定で世界の国々は、この暴れる気候を安定化するためにあと一世代の間に、二酸化炭素等温室効果ガスを排出ゼロの社会に変える、あるいは森林などの吸収力の範囲内にとどめる「炭素中立」世界にすることに合意した。なぜ炭素中立が必要かは後述するとして、われわれの目指す「炭素中立社会」というのは一体どんなものなのだろうか。そこに向かって「先進国」はどんな道のりをたどればいいのか、途上国はこれまでの先進国型発展と違った道筋を見つけられるのだろうか、既に炭素中立国がそれをどう維持するか、その中で先進国・途上国あるいは途上国同士が互いに学んだり、助け合ったりすることができるのではないか、さまざまな興味で炭素中立先進国ブータンの研究を始めたのである。

ブータンは60%以上の森林被覆率維持を決めていて、いまは70%。エネルギーの60%が薪(バイオマス)、16%が電力、急峻な山間を豊かに流れる河川水量で発電し、その半分以上をインドに売って国庫収入の1/4を稼ぐし、国土の半分を国立公園に指定し、一日一人2万円のエコツーリズムで希少種を保護しながら外貨を稼ぐ、豊かな自然資源にどっぷりつかった国である。

既に97%の家庭に配電されていて、ホテルの風呂は天井に取り付けられた電気温水器がお湯を沸かすが、冬場は電気が足りないのか少々冷たいお湯になる。携帯電話98%、TV75%、パソコン 20%、冷蔵庫54%の保有率。国民一人当たり所得は、購買力平価で約7,000ドル(cf. フィリピンなみ、日本は3.7万ドル)。学校教育は英語でなされているから、配電家庭のTV から耳に飛び込んでくる世界の情報がスッと入るし、街なかのスーパーで見かけるキラ(民族衣装)を羽織った売り子だって流ちょうな英語で対応してくれる。国是の4つは、「持続可能で公平な社会経済的発展」「環境保全」「文化と伝統の維持・発展」「よき政治」であり、日本の経済至上グローバリゼーションとは一線を画する。なんとなく江戸時代の日本の趣きである。

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図1.豊かな水量と森林そして伝統と文化

 

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図2 農村にも、くまなく引かれる電力網

 

 世界は50年後に炭素中立を目指す。そのために省エネ・自然エネルギー・吸収促進のための森林土壌保全がこれからの将来が強めるべきものであり、「自然に頼る世界」になることは間違いない。原子力は自然エネルギーよりコスト高くなりつつあり、世界の大勢では将来エネルギーの中核からは外されている。先進国は、いまからエネルギー総消費量を減らし化石燃料を自然エネルギーに代替し、それをグリッドに入れ込み電化に進もうとしている。だったらブータンはすでにそれらを実現している「ミニ将来世界」である。先進国では化石燃料に頼りすぎた社会をつくってしまって炭素中立社会への転換を難しくしているが、発展途上のブータンは過去の負債にとらわれることなく、白紙の上に炭素中立社会を描くことができる。先進国型発展を経ることなく、新しい「炭素中立」世界へ馬跳び方式(leapfrog)で一番のりする可能性が十分にある。

そんな国がどのようにして「炭素中立」を維持しようとしているのか、途上国だけでなく先進国にも示唆することがあるに違いない。そんな興味で、ブータン政府や研究機関との共同研究に飛び込んだのである。

 

ブータンだって悩みがある

そうはいっても、すべてがうまくいくわけではなく、越えなければならない課題はいくつもある。この炭素中立への世界大転換をチャンスとして、どんなやり方で課題を乗り越えられるだろうか。

課題の第一は、ブータンが炭素中立のために頼ろうとしている自然資源自身が気候変動から受ける影響である。40年後に温暖化傾向にストップがかけられたとしても、降雨パターンがかわるから、頼みとする水力発電が維持できるかどうか。温暖化で氷河湖の崩壊や極端暴風雨で地滑りが多発するのでは。森林土壌への影響で、吸収源としての機能が弱まるのではないか。農業生産への影響はどうなるだろうか。適応策は講じられるか。

第二にその一方で、今や吸収とバイオマスと水力という山岳国の宝となった自然資源を如何に維持できるかが炭素中立Bhutanのカギとなる。地方から都市部への人口移動がはじまっており、いったい誰がその自然資源を守ってくれるのだろうか。どうやって人を地域に貼り付けるかは、炭素中立時代の国土開発計画の課題であり、これまでとは違った発想が必要である。実は日本でも同じ悩みを抱えて、地方創生政策がとられているが、効果はどうなのだろうか。

第三の課題は、今後の経済発展政策にある。国是はあるものの、「発展」の中身は、やはり先進国型の追従となる可能性がある。もっとも、急峻な山岳を河川で区切っただけの国土には、地形的にも資源的にも市場面からも大規模工業の入る余地はあまりない。食料自給率は米と畜産物以外はかなり輸入に頼っているから、国民の要求が拡大した時、なにで稼いで支払うのか。計画では「High value, low volume」を掲げ、日本の「Cool Japan」みたいにブータンの文化と伝統を旗印とする「Brand Bhutan」戦略をとっている。

自家用車保有率は23%で、自動車交通が増えつつあり、大気汚染も見られるようになった。山岳国の谷間を縫っての道路建設維持はむつかしい。しかし配電網は完備していて包蔵水力は今の20倍ぐらいとされるから、EV導入可能性は十分にある。ダムをつくるのに住民の反対はないのかと聞くと、そんなに高い堰堤は不要で、地域住民対話手続きが国で決められてこれまで問題はないとのこと。ドローンでの山越え配送も効率的かもしれない。さまざまな最新技術、IT技術、適正技術の取入れがなされるであろうが、その副次的影響はどうだろうか。 

第四の課題は、国民の要望とそれに対するガバナンスである。世界は経済成長を基軸として発展してきたが、温暖化などで判明した「惑星地球」の限界を悟り、自然の中でどう平等に世界を持続してゆくかの重要さを再認識し、2015年国連が今後世界が目指すべき持続可能な社会目標(SDGs:Sustainable Development Goals) を定めた。ブータンはこれに先駆け今世紀はじめから自然共生社会立国を目指し、9項目の国民の豊かさ(Well-being)指標に基づく統治を始めている。これらは、心の幸せ、健康、教育、文化、環境、コミュニティー、良い統治、生活水準、自分の時間の使い方、であり、国民総幸福指標(GNH: Gross National Happiness)と呼ばれている。2016年に出された「国民幸福指標(GNH)」調査では、総体として国民の幸福満足度の是非は半分半分で、耐久消費財などに関する満足度は上がったが、政府のガバナンスへの評価点数は5年前から大幅に下がっている。地方分散政策をとってはいるが、首都ティンプーなどへの若者移動がはじまり、急峻な崖にも多くの住宅が建ち始めているし、都市での失業問題も増えているようだ。この地方からの人口流出は大切な資産である自然環境を守るための労働力不足が心配される。先進国が歩んだ道をたどっての発展では炭素中立が維持できるかおぼつかない。

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図3 バイオマスやガソリンで煙る朝のティンプー

 

ブータンのお役人は、ほとんどが外国の大学で教育を受けていて、会った限りの人たちは極めて優秀であり、国が好きで。所掌範囲の数字は何でも諳んじていて、仕事は効率的である。「文化・伝統維持」の象徴として、役所では男はどてら風の「ゴ」にスネまでの靴下・革靴の民族正装が義務つけられているし、ちょっと目上のひとに会う時は、どてらの背中をたるませてできる大きなポケットから白いスカーフを取り出し肩から掛けることを忘れない礼儀の国でもある。いまのところガバナンスには期待できそうだ。

 

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図4 全省庁を集めた温暖化対策会合での発展モデル研究紹介

 

西岡秀三(にしおか・しゅうぞう)

(公財)地球環境戦略研究機関参与、(一社)環境政策対話研究所名誉会員。

東京大学機械工学科卒、同博士課程修了、工学博士。国立環境研究所理事、東京工業大学・慶應義塾大学教授、地球環境戦略研究機関気候政策プロジェクトリーダー等を経て現職。専門は環境システム学、環境政策学。1985 年より気候変化影響や対策シナリオ研究に従事。2004年―2008年環境省地球環境研究計画「2050年温室効果ガス削減シナリオ研究」リーダー。著書に『地球環境がわかる』(kindle版)、『気候変動リスクとどう向き合うか』(損害保険ジャパン、損保ジャパン環境財団)、『低炭素社会のデザイン-ゼロ排出は可能か』(岩波新書)、日本低炭素社会のシナリオー二酸化炭素70%削減の道筋』(日刊工業新聞社)、『地球温暖化と日本―自然・人への影響予測』(古今書院)、『新しい地球環境学』(古今書院)ほか多数。