長泉寺の歴史

寺のいちばん最初の創建時期については実は明確ではありません。明治21(1888)年に若神子(わかみこ)全体を焼き尽くした大火によって、長泉寺も本堂、山門、庫裏など建造物のみならず寺に伝わる古文書まですべてを焼失してしまいました。

長泉寺はもともと観世音菩薩を本尊とする真言宗でしたが、遊行二祖(遊行の2番目の上人)他阿真教(たあしんきょう)上人が甲斐を訪れた際に中興開山(ちゅうこうかいさん)し時宗に改宗したと言われています。

『本尊』  観世音菩薩 → 現在 阿弥陀菩薩
『宗派』  真言宗  → 現在 時宗 


『長泉寺』由来
若神子は甲斐源氏の祖・新羅三郎義光(源義光)が館を築いたところです。その子供の義清が病気になった際、若神子の熊野権現に沸いた湯に入って回復したことから寺を建て、これを湯沢山義清院長泉寺としたと云われています。

長泉寺の敷地内ではありませんが、車で5分ほどのところにある

これがそもそもの由来の地と言われている祠です。

 

土地や本堂など、徳川幕府よりの寄付については由緒書本文(左メニューバーより)にて詳細をご確認ください。

このページでは皆様にわかりやすく噛み砕いた説明に留まらせて頂いております。